自分の存在って一体何なのか、なんてしみじみと考えたことはあるだろうか?
宇宙が誕生して、気の遠くなるような長い期間を経て進化し、やがて生命が誕生し、人間が登場する。それさえあらゆる可能性を考えれば、本当は宇宙の終わりまでかかってもあり得ない部類の出来事だったわけで、いうなれば、プラモデルの部品を全部箱の中に入れてガシャガシャと振り回して箱を開けたら、そのプラモデルが見事に完成していた、というようなことが起こるようなものだという。
宇宙の長い歴史の中に、自分という人間が存在している。一体、この自分という意識はどこからやってきたんだろうか?なぜ今、ここに存在しているんだろうか?やがて、有機生命体である宿命としてその生を終えるときが訪れる。その後、自分という存在、その意識は一体どこへ行ってしまうのだろう?生死にかかわるような出来事に直面してみないとなかなかこういうことは考えないし、考えても大した意味はないかもしれないが、その辺は永遠の謎だけに非常に興味深い。
自分がここに存在している、というのは偶然か?そのあたりから考えてみても一概に「偶然である」ともいえないのかもしれない。例えば、宇宙全体を説明できる法則、理論などというものがあったとすれば、自分という存在が登場することは最初からその法則によって運命的に決まっていたのかもしれない。あるいは、宇宙そのものに意志があって我々を登場させたのかもしれない。この辺は「神」的存在の問題になってくる。
ただ、現在知られている「量子力学」という物理学の考え方で、不確定性原理というのがあって、物事の動きというのはある確率を持った値でしか指定できないという前提がある。正確にある出来事の発生を予測はできないということ。物事はカオス的にしか測れないわけだ。となると、やはり自分という存在は偶然そこにいることになる‥‥。
宇宙論の考え方の一つに「人間原理」というものがある。これには強弱の2種類があるが、今宇宙の状態を知ろうとするとき、なぜ宇宙は今見ているような具合になっているのか、という問いに、そういう具合になっていなければ我々人間は存在していないだろうからだ、というのが弱い人間原理で、さらに我々が存在するように宇宙の設定がなされているのだ、とするのが強い人間原理。例えば、なぜ宇宙は四次元時空連続体なのか、といったとき、二次元では全て平面で生命活動を行うのに必要な体型が形成できないだろうからだ、と答えるわけ。
いずれにしても、自分の存在そのものについては謎のままだ。生命活動が終われば、自分という存在の意識もなくなる、そうなればその存在が認識していた宇宙も終わるわけだ。もちろん、他の存在が同じような宇宙を認識し続けるのだろうが。生命が終わったからその意識も終わる、もしかしたらそうではなく、意識は別のところで再利用されているんじゃないか、と思うこともしばしばある。もちろん、記憶は全て消えるが、別の存在の中に吹き込まれる、「命」とも呼ぶべきものとしての存在もあるように思う。時々、前の記憶があるきっかけで蘇ったりして、それをデジャヴと呼んだりしたり。仏教の輪廻転生の話に似ているが、では、生命が全て宇宙から消えた日にはどうなるのか、と問われると、また回答に窮してしまう。