[科学哲学] 運命は決まっている?

運命はあるのか?つまり、すでに宇宙、ひいては我々人類のたどるシナリオは既に完成されているのだろうか?という問題。これも神に関連してくる。よく「ラプラスの悪魔」の話が引き合いに出される。初期状態が正確に理解できれば、その先は完全に予測可能である、というのは、ニュートンの運動方程式によって全ての運動は計算で導けるという仮定から、ラプラス卿が定義した説。ここから、もし、全て世の中の状態を完璧に理解できる者(悪魔)がいたとしたら、未来は全てその悪魔によって予測されている、としたもの。こうして私がこんなことを書いていることも、ラプラスの悪魔によって既に予測済みだったことになるわけだ。
これを破ったのが量子力学だ。ミクロの世界においてはニュートンの運動方程式では正確に運動を記述できない、不確定性の及ぼす影響を考慮する必要がでてきたことで、未来予測は完全には不可能になったのである。ただ、これは人間が現象を観察する、つまり見るという行為を伴った場合の話で、実際にはそれを見ようが見まいが何かがそこで確実にある法則のもとで起こっている、と考えられる。我々人間は、この現象を確率に置き換えて解析しているにすぎない。光、また電子などを媒体にする以上、人間の観察領域には限界がある。
カオスという概念がある。小さな擾乱が予測不可能な現象に結びつくかもしれない、この辺も我々人間の未来予測を困難にしているのだ。もし、人類に今以上のものの見方ができるようになったら、あるいはラプラスの悪魔が復活するのかもしれない。
いずれにしろ、人類はまだ全てを見切れていない。言ってみれば、ルールも分からずにチェスの対戦を見ていて、次第にそのルールやコマの動きを理解しているような状態。チェスとは我々の宇宙であり、ルールとはその宇宙の統一法則になるだろう。もしも、そのルールを決定する存在が”知性”として存在するならば、それが”神”に他ならない。

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