人類がこの宇宙に誕生したのは何故か?また、今人類は宇宙にとってどのような存在なのか?今、地球上で人類の動向を見る限り、あまり良い印象はない。確かに、科学技術は進歩し、巨大な文明を築き上げているが、その裏で、人類以外の生命に対する考慮があまりにお粗末で、人類さえ栄えることが出来ればそれでよいという感がある。
例えば、宇宙というシステム内に、害となる存在が侵入してきたとする。そこに自然治癒力などというものが存在するなら、それによって有害な存在は排除される。つまり、もしも宇宙が宇宙自身を守ろうとしているなら、面倒なことはせず、無益なものは容赦なく消去し、有益なものを存続させていこうとするはずである。有神論で考えるとして、もし神がいるとしたら、無益なものを残しておくことは不合理であり、消去されてしかるべき、というのが私の視点というか、考え方だ。
そこに人間という存在を考えたとき、それは宇宙全体の利害とどう絡んでくるのか?もし、人類が何らかの自然の力によって排除されようとされているなら、宇宙にとって有害な存在といえるかもしれない。だが、今の時点で、それはまだ未知数だ。例えば、宇宙の利害基準とはどのようなものか?このあたりを探ることで、人類の未来も見えてくるかもしれない。宇宙に到達目標があったとすると、それにより効率よくアプローチするために何をすべきか、それに対応する利害の相関関係、というのが判断基準になるのか。
ただ、局所的に地球上ということだけを考えたら、人間はあらゆる生物のトップに君臨した気になって、やりたい放題である。このままズルズルいってしまったのでは、地球全体の生命の死活に関わることは明らかだ。
人類が宇宙にとってどのような存在になるのか?この辺は人類の最終目標を考えることにもつながってくるようだ。宇宙に意志的性質があるなら、それは合理主義的なものであろうと思われる。今はあくまで進化過程の一時点なのだと見る。つまり、宇宙は一発でパーフェクトなものを作ることはできない、やはり成長、進化の過程は必要だ、と考える。(これは進化宇宙論という)今は進化過程で、あらゆる”揺らぎ”が生じている状態なのではないかと見られる。
考えるべきは、宇宙と人間全体との関わり合い、宇宙の目的達成にどう人間が絡んでくるのか(また人間には触れることさえできないものなのか)というあたりだろう。私も人間なので、その人間がタダで終わるような存在であって欲しくないと願う。
宇宙がある生命を誕生させる。それが有意義なものであるかどうかを判断する場合、その生命がトータルで効率的(合理的)かどうかだろうと思う。どのような形態の生命が最も効率的、合理的か?いってみれば、地球はそれを試す一つの実験場になっているのかもしれない。こうした形態の生命を誕生させたらどうなるのか、そこに別の形態の生命を加えたらどうなるのか、こうしたことの繰り返しで生態系が最適化されてきているように思う。
地球上に単純な有機生命を誕生させてみる。最初はバクテリアのような単細胞生物だったけど、ここから自らエネルギーを作り出す植物性バクテリアと、出来合いのエネルギーを摂取する動物性バクテリアを共存させてみる。多細胞生物をつくってみる。有性生殖種をつくってみる‥‥。こうして、さらに多様な生命体をつくってみて、どれが一番効率の良い生命かを選択していく。
人類の誕生は、また新しい段階の実験であるように思う。人類は知性を持ったことで、ただ生きているだけの生命ではなくなったわけだ。未知に対応できる、思考できる、計画性を持つ、こういった能力は他の生命体にはないもので、これによって、生命がようやく宇宙に目を向けることが出来たのだ。